隋
隋 / 581 – 618
605文化

大運河の建設

煬帝ようだいは南北を結ぶ水運網の整備を目的に、既存の河川や運河を接続・拡張する大運河建設事業を推し進めた。永済渠えいさいきょ・通済渠つうさいきょ・邗溝かんこう・江南河こうなんがなどの区間が次々に開削され、洛陽を中心に北は涿郡たくぐん(現・北京付近)、南は余杭よこう(現・杭州)にまで至る一大水運網が完成した。この事業には数百万人ともいわれる民夫が徴発されたと伝わり、過酷な労役は民衆の疲弊と怨嗟を招き、隋末の反乱の一因になったとも指摘される。一方でこの運河は完成後、南方の豊かな穀物や物資を北の政治中心地へ運ぶ大動脈として機能し続け、後世の元代には大都だいと(北京)へ直結する形に改修されるなど、現代に至るまで中国の経済を支える重要な水路であり続けている。

関連する建造物・国宝・人物
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建造物・遺跡
京杭大運河
京杭大運河けいこうだいうんが
北京と杭州を結ぶ全長約1800kmの運河。隋代の建設を起源とし、元代に大幅な改修を経て現在の姿に近づいた。世界最長の人工運河とされ、世界遺産に登録されている。
写真: Vmenkov / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
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