南
南北朝 / 420 – 589
494文化

北魏ほくぎの漢化政策

北魏ほくぎの孝文帝こうぶんていは平城へいじょうから中原の中心地洛陽への遷都を断行し、あわせて鮮卑せんぴ族の服装・言語を中国風に改めさせ、皇族の姓を拓跋たくばつから元に改姓するなど急速な漢化政策を推し進めた。漢人官僚の登用や鮮卑・漢人間の通婚も奨励され、支配層の統治理念は次第に中国的な色彩を強めていくことになる。一方でこうした急激な変化は北方の辺境を守る保守的な鮮卑軍人層の反発を招き、後の六鎮りくちんの乱という大規模反乱の遠因になったとも指摘される。洛陽遷都に伴い、都近郊では新たな仏教石窟の造営も始まり、北魏仏教美術の新たな中心地が築かれていった。

関連する建造物・国宝・人物
※ 画像はWikimedia Commonsのパブリックドメイン/CCライセンス素材を使用しています(各画像下にクレジット表記)
建造物・遺跡
龍門石窟
龍門石窟りゅうもんせっくつ
洛陽遷都を機に造営が始まった仏教石窟群。北魏ほくぎから唐にかけて彫られた膨大な仏像群が残り、世界遺産に登録されている。
写真: Dominik Tefert / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
関連する人物
孝
孝文帝こうぶんてい(元宏げんこう)
北魏ほくぎの第7代皇帝。洛陽遷都と徹底した漢化政策を断行し、鮮卑せんぴ族と漢族の融合を大きく進めた改革者として知られる。
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