南
南北朝 / 420 – 589
534戦争・動乱

北魏ほくぎの分裂

六鎮りくちんの乱をはじめとする度重なる反乱で弱体化した北魏ほくぎでは、実力者の高歓こうかんと宇文泰うぶんたいがそれぞれ別の皇族を擁立して対立し、534年に東魏とうぎ(鄴ぎょうを都、高歓が実権)と西魏せいぎ(長安ちょうあんを都、宇文泰が実権)へと分裂した。両政権はまもなくそれぞれ高氏の北斉ほくせい、宇文氏の北周ほくしゅうへと王朝交代し、以後も華北では激しい抗争が続くことになる。特に西魏・北周を支えた宇文泰は、関中・隴西の軍事貴族層(関隴集団かんろうしゅうだん)を組織化しており、この集団からは後の隋の楊氏や唐の李氏といった王朝創始者が輩出されることになる。北魏の分裂は、一見混乱の一場面に見えながらも、次の統一王朝の担い手を準備する重要な布石であったと評価される。

関連する建造物・国宝・人物
※ 画像はWikimedia Commonsのパブリックドメイン/CCライセンス素材を使用しています(各画像下にクレジット表記)
関連する人物
宇文泰
宇文泰うぶんたい
西魏せいぎの実権を握った軍事指導者。関中・隴西の軍事貴族層「関隴集団かんろうしゅうだん」を組織し、後の隋・唐両王朝の支配層の源流を形作った。
『北史演義』(1793年) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
広告