六鎮の乱をはじめとする度重なる反乱で弱体化した北魏では、実力者の高歓と宇文泰がそれぞれ別の皇族を擁立して対立し、534年に東魏(鄴を都、高歓が実権)と西魏(長安を都、宇文泰が実権)へと分裂した。両政権はまもなくそれぞれ高氏の北斉、宇文氏の北周へと王朝交代し、以後も華北では激しい抗争が続くことになる。特に西魏・北周を支えた宇文泰は、関中・隴西の軍事貴族層(関隴集団)を組織化しており、この集団からは後の隋の楊氏や唐の李氏といった王朝創始者が輩出されることになる。北魏の分裂は、一見混乱の一場面に見えながらも、次の統一王朝の担い手を準備する重要な布石であったと評価される。