北
北宋 / 960 – 1127
1127戦争・動乱

靖康の変・北宋滅亡

遼を滅ぼした金は、その勢いを駆って北宋との盟約を反故にし南下を開始した。1126年には早くも開封かいほうが包囲されるが、この時は宋側が多額の賠償金と領土割譲を条件に和議を結んでいったん囲みを解かせることに成功する(靖康元年)。しかし宋朝廷が約束した条件を十分に履行できなかったことなどから金軍は同年末に再び南下し、1127年についに開封は陥落した。皇帝欽宗きんそうとその父で書画・詩文に優れた文化人でもあった上皇徽宗きそうをはじめ、皇族・后妃・官僚など数千人ともいわれる人々が金の捕虜として北方へ連行される屈辱的な結末を迎え、これは後世「靖康の変(靖康の恥)」と呼ばれる。欽宗の弟にあたる康王趙構ちょうこうだけは難を逃れて江南に落ち延び、後に高宗こうそうとして即位して宋王朝の命脈を保つことになるが、都開封を含む華北の広大な領土は金の支配下に置かれることとなった。

関連する建造物・国宝・人物
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国宝・出土品
清明上河図
清明上河図せいめいじょうかず
画家張択端ちょうたくたんが描いたとされる絵巻物。靖康の変で失われる前の都開封かいほうの繁栄した街並みを描き、北宋の都市文化の最盛期を伝える国宝級の作品として現在は北京の故宮博物院に所蔵されている。
作: 張択端 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
関連する人物
徽宗
徽宗きそう
北宋第8代皇帝。書画に優れた才能を発揮し独自の書体「痩金体」を創始した文化人であったが、政治的には無策で、靖康の変により金に連行され北方で客死した。
『南薫殿図像』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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