陳橋の変を経て即位した趙匡胤(太祖)は、後周から禅譲を受けて国号を宋と定め、開封を都とした。もっとも即位した時点では荊南・後蜀・南漢・南唐・呉越・北漢など十国の系譜を引く政権が各地になお存続しており、太祖とその弟太宗の二代にわたる約20年間の征服・帰順工作を経て、979年の北漢平定によりようやく実質的な中国統一が達成されることになる。太祖は即位当初から、武断政治によって王朝交代が繰り返された五代の教訓を踏まえ、軍人の力を抑えて文人官僚を重んじる文治主義への転換を明確に志向していた。この統一達成までの過程と並行して進められた文治体制の構築は、以後300年以上続く宋王朝の基本的な国是として定着していくことになる。