北
北宋 / 960 – 1127
960王朝

宋の建国(趙匡胤ちょうきょういん)

陳橋ちんきょうの変を経て即位した趙匡胤ちょうきょういん(太祖)は、後周こうしゅうから禅譲を受けて国号を宋と定め、開封かいほうを都とした。もっとも即位した時点では荊南けいなん・後蜀こうしょく・南漢なんかん・南唐なんとう・呉越ごえつ・北漢ほくかんなど十国の系譜を引く政権が各地になお存続しており、太祖とその弟太宗の二代にわたる約20年間の征服・帰順工作を経て、979年の北漢平定によりようやく実質的な中国統一が達成されることになる。太祖は即位当初から、武断政治によって王朝交代が繰り返された五代の教訓を踏まえ、軍人の力を抑えて文人官僚を重んじる文治主義への転換を明確に志向していた。この統一達成までの過程と並行して進められた文治体制の構築は、以後300年以上続く宋王朝の基本的な国是として定着していくことになる。

関連する建造物・国宝・人物
※ 画像はWikimedia Commonsのパブリックドメイン/CCライセンス素材を使用しています(各画像下にクレジット表記)
建造物・遺跡
北宋皇陵(鞏義)
北宋皇陵ほくそうこうりょう(鞏義きょうぎ)
河南省鞏義市に営まれた北宋歴代皇帝の陵墓群。太祖をはじめとする皇帝たちが眠り、石像群など多くの石造遺物が現存している。
写真: Gary Todd / Wikimedia Commons(CC0)
関連する人物
宋太祖(趙匡胤)
宋太祖そうたいそ(趙匡胤ちょうきょういん)
北宋の建国者。陳橋ちんきょうの変により推戴されて即位し、五代の武断政治を反省して文治主義への転換を進め、以後300年以上続く宋王朝の国是を定めた。
『宋代帝半身像冊』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
広告