東
五胡十六国・東晋 / 317 – 420
420王朝

東晋とうしんの滅亡

寒門(低い家柄)出身ながら卓越した軍才で頭角を現した劉裕りゅうゆうは、孫恩そんおん・盧循ろじゅんの乱の鎮圧や後秦こうしんへの北伐成功などの実績を積み重ね、東晋とうしんの実権を掌握していった。420年、劉裕はついに幼帝恭帝きょうていから禅譲を受けて自ら皇帝に即位し、国号を宋(劉宋りゅうそう)と定めたことで、司馬氏による約100年間の東晋の歴史が幕を閉じた。これ以降、江南では宋・斉・梁・陳という四つの王朝が交代する南朝なんちょうの時代が始まり、華北の諸政権(北朝ほくちょう)と対峙する南北朝時代へと移行していく。武人出身者が禅譲という形式を用いて王朝を開くこのパターンは、以後の南北朝時代における政権交代の一つの型となった。

関連する建造物・国宝・人物
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関連する人物
劉裕
劉裕りゅうゆう
東晋とうしん末の武将から皇帝に上り詰め、南朝なんちょう最初の王朝宋(劉宋)を開いた人物。低い身分からの立身出世は南北朝時代を象徴する事例とされる。
『古先君臣図鑑』(明代) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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