湖北省の緑林山を拠点に、王匡・王鳳らが飢饉に苦しむ農民を集めて蜂起した反乱で、赤眉の乱とほぼ同時期に発生し新末の混乱を加速させた勢力の一つである。当初は山中に立てこもる小規模な集団に過ぎなかったが、疫病の流行を機に勢力が分散したのち、その一部が後に劉秀・劉縯兄弟ら漢王室の血を引く豪族と結びついて政治的な性格を強めていった。これにより緑林軍は単なる流民集団から新打倒を掲げる反乱勢力へと変質し、更始帝劉玄を擁立して一時的な政権を樹立するまでに至る。この緑林系の勢力こそが、後に光武帝として即位する劉秀が頭角を現す母体となった点で、後漢建国史における重要な位置を占めている。新末の動乱は、赤眉・緑林という二つの反乱勢力の消長を軸に展開していったといえる。