景帝の御史大夫晁錯が諸侯王の領地を削減する「削藩策」を進めたことに反発し、呉王劉濞を中心に楚・趙など七つの諸侯国が連合して反乱を起こした事件である。晁錯は反乱の口実を絶つために処刑されるが反乱はおさまらず、朝廷は将軍周亜夫を派遣して鎮圧にあたらせ、挙兵からわずか三か月ほどで反乱軍は壊滅した。この結果、反乱に加わった諸侯国は次々と取り潰され、あるいは大幅に領地を削減されて、諸侯王の勢力は決定的に弱体化することとなった。以後、諸侯国の官吏任命権も中央が握るようになり、劉邦以来続いていた郡国制は事実上郡県制に近い中央集権体制へと移行していく。この事件は前漢の中央集権化が完成へ向かう大きな画期として位置づけられている。