元
元 / 1271 – 1368
1274対外関係

文永の役ぶんえいのえき(元寇)

クビライは日本国王(実質的には鎌倉幕府)に対し朝貢と服属を求める国書を数度にわたり送ったが、執権北条時宗ほうじょうときむねはこれを黙殺し、対決姿勢を明確にした。1274年、元と服属下の高麗こうらいの連合軍およそ3万が対馬・壱岐を経て博多湾に上陸し、集団戦法や「てつはう」と呼ばれる火薬兵器を用いて日本の御家人たちを苦しめた。しかし元軍は内部の連携不足や補給の限界に加え、上陸後まもなく暴風雨(後世「神風」と呼ばれる)に見舞われたともされ、大きな戦果を得ないまま撤退することとなった。この遠征は日本側で「文永の役」と呼ばれ、これを機に鎌倉幕府は再度の襲来に備えて博多湾岸に石造りの防塁を築くなど、本格的な国防体制の整備に乗り出すことになる。

関連する建造物・国宝・人物
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建造物・遺跡
元寇防塁
元寇防塁げんこうぼうるい
弘安の役こうあんのえきに備え博多湾岸に築かれた石造りの防塁。福岡県内に一部が現存し史跡として保存されている。
写真: Muyo / Wikimedia Commons(CC BY-SA)
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関連作品
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書籍・漫画
『アンゴルモア -元寇合戦記-』(漫画)
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