221王朝
蜀漢の建国(劉備)
前漢の景帝の子孫を称する劉備は、若くして各地を転戦しながらも独自の勢力基盤を持てずにいたが、諸葛亮を軍師に迎え荊州・益州を確保したことでようやく確固たる地盤を築いた。221年、曹丕の魏建国と後漢滅亡の報を受けると、劉備は漢王室の正統な後継者を自任して皇帝に即位し、成都を都に蜀(蜀漢)を建てた。これにより自らを漢の正統な継承者と位置づけ、簒奪者と見なす魏に対する対決姿勢を鮮明にしたのである。即位直後には義兄弟であった関羽の仇討ちを名目に呉へ出兵するが、夷陵の戦いで陸遜率いる呉軍に大敗を喫し、まもなく病没してしまう。劉備の死後は幼い劉禅が後を継ぎ、丞相諸葛亮が全権を委ねられて国政を主導していくことになる。
関連する建造物・国宝・人物
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建造物・遺跡
武侯祠(成都)
四川省成都市にある諸葛亮を祀る祠廟。劉備の陵墓「惠陵」も同じ敷地内にあり、三国時代ゆかりの代表的な史跡となっている。
写真: Daderot / Wikimedia Commons(パブリックドメイン, CC0)
関連する人物
漢の皇族の血を引くことを称して蜀漢を建てた初代皇帝。関羽・張飛・諸葛亮ら多くの人材を集めたことで知られる。
Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
劉備の義弟として知られる蜀の武将。忠義と武勇の象徴として後世神格化され、「関帝」として今も広く信仰されている。
『三才図会』(明代) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
劉備の義弟で蜀の猛将。長坂の戦いで橋の上に立ちはだかり、曹操軍を一喝して退けた逸話で知られる。
清代『三国志演義』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
蜀の武将。長坂の戦いで劉備の幼い息子劉禅を救い出した逸話で知られ、忠勇兼備の名将として人気が高い。
清代『三国志演義』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
西涼の群雄馬騰の子で、のちに劉備に仕えた蜀の猛将。潼関の戦いで曹操を窮地に追い込んだ。
清代『三国志演義』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
蜀の老将。定軍山の戦いで魏の名将夏侯淵を討ち取り、劉備の漢中制圧に大きく貢献した。
清代『三国志演義』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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