洪武帝の死後帝位を継いだ建文帝は、諸王の勢力を削ぐ「削藩」政策を進めたが、これに強く反発した叔父の燕王朱棣が北平(現・北京)で挙兵する。朱棣は「君側の奸を除く」ことを名目とした「靖難の役」と呼ばれる内戦を約3年にわたり戦い抜き、1402年に南京を陥落させた。この際、建文帝は宮殿の火災の中で行方不明となり、焼死したとも僧に扮して脱出し諸国を放浪したとも伝えられ、その後の生死は後世まで謎とされ続けた。甥から武力で帝位を奪ったという弱い正統性を補うためもあってか、即位した永楽帝は鄭和の大遠征、北京への遷都、モンゴルへの親征などきわめて積極的な内外政策を次々と推し進め、明の国威を大きく高めることになる。