西晋の武帝が没した後を継いだ恵帝は暗愚であったと伝えられ、その皇后賈南風が実権を握ろうとしたことをきっかけに、各地に封じられていた皇族の諸王が次々と皇位・権力をめぐる争いに介入していった。汝南王・楚王・趙王・斉王・長沙王・成都王・河間王・東海王ら計八人の王が入り乱れて争ったことから「八王の乱」と呼ばれ、291年の勃発から306年頃まで断続的に10年以上にわたって続く長期の内乱となった。この争乱では首都洛陽をはじめ各地が幾度も戦火に見舞われ、諸王はしばしば北方や西方の異民族の軍事力を自陣営に取り込んで戦ったため、結果的に異民族勢力が華北の政治・軍事に深く関与する契機を与えることにもなった。内乱の過程で西晋の統治機構と経済力は急速に消耗し、せっかく達成された天下統一の成果はわずか数十年で無に帰していくことになる。この混乱こそが、続く五胡十六国という異民族政権乱立の時代を招く直接の背景となった。