中国では王朝が交代するたびに、あるいは同じ王朝の中でも遷都によって、都の位置がたびたび移り変わってきました。 ここでは、夏の二里頭から中華人民共和国の北京まで、歴代王朝の都を移り変わりの順に紹介します。
実際の海岸線をもとにした中国の位置関係図です。朱色の番号は下の一覧の都、白丸は主要都市の目安です。 西安・北京・南京・洛陽周辺は複数の王朝が同じ都市を都としたため、番号が近接しています。
禹が開いたと伝わる中国最古の王朝・夏の都に比定される遺跡。宮殿跡や青銅器工房が発掘され、禅譲から世襲へと移った初期国家の姿を今に伝える。
第19代王盤庚が遷都し、以後約250年にわたり殷代後期の都として栄えた地。20世紀の発掘調査で甲骨文字をはじめとする高度な文明の実態が明らかになった。
殷を滅ぼした武王が「天命」思想を掲げて開いた周王朝最初の都。前771年、寵姫を溺愛した幽王の代に犬戎の侵入を受けて陥落した。
鎬京を失った平王が遷都した東周の都。以後周王室の実権は縮小して権威は形式化する一方、有力諸侯が覇を競う春秋・戦国の時代が幕を開けた。
戦国時代から秦の本拠であった都で、中国統一後は史上初の統一帝国の中枢となった。始皇帝の死後まもなく項羽軍によって焼き払われたと伝わる。
劉邦が関中の要害の地に定めた漢の都。秦の旧制度を引き継ぎつつ、以後400年におよぶ漢王朝の出発点となり、シルクロード交易の東の起点としても栄えた。
光武帝劉秀が漢を再興した際、前漢の長安ではなくこの地を都と定めた。この後も曹魏・西晋が相次いで都とし、中原の政治的中心であり続けた。
漢王室の後継を称した劉備が皇帝に即位して定めた蜀の都。丞相諸葛亮のもとで内政が整えられ、天険の地の利を背景に三国中最も長く独立を保った。
孫権が皇帝に即位して定めた呉の都。長江の防衛線と江南開発を背景に三国中最後まで存続し、以後の南朝諸王朝が同地を都とする先例を開いた。
華北を追われた司馬睿が建てた東晋、続く宋・斉・梁・陳の南朝四王朝が約270年にわたり都とした地。貴族文化と仏教美術が花開いた江南文化の中心地であった。
隋の文帝が新たに造営し、唐代には人口100万を超える国際都市として最盛期を迎えた都。シルクロードを通じて東西の文物が行き交う、当時世界最大級の都市であった。
後梁以来五代の多くの政権が都とし、趙匡胤の宋建国後も引き続き都とされた地。運河交通の要衝として栄え、『清明上河図』が伝える商業都市文化の最盛期を築いた。
靖康の変で開封を失った高宗が落ち着いた地。正式な遷都は宣言されず仮の都「行在」とされたが、江南の富を背景に北宋を凌ぐ経済的繁栄を築いた。
クビライが中国式の宮城・官制を整えて定めた元の都。マルコ・ポーロの旅行記にも描かれた国際色豊かな大都市で、大運河の改修によって江南の物資が直結された。写真は同じくクビライが定めた夏の都・元上都の遺跡。
永楽帝が1421年に南京から遷都し、壮麗な紫禁城を築いた地。以後清代末期に至るまで約500年にわたり中国の政治的中枢であり続けた。
孫文が臨時大総統として臨時政府を樹立した地。国民政府時代にも首都と定められたが、日中戦争の勃発で重慶へ、国共内戦の敗北で台北へと拠点を移すことになった。
毛沢東が天安門楼上で建国を宣言した地。清朝以来の紫禁城(故宮)や天安門広場は、現在も国家的な政治儀礼の舞台であり続けている。
長安から西へ延びるシルクロードとその沿線のオアシス都市、城壁や関所など「城」に着目したまとめも別ページで紹介しています。