太原たいげんの留守(地方長官)を務めていた李淵りえんは、隋末の混乱に乗じて617年に挙兵し、間もなく長安ちょうあんを制圧すると、当初は煬帝ようだいの孫を皇帝に擁立して隋の存続を装った。しかし翌618年、江都こうとで煬帝が殺害されたとの報に接すると自ら皇帝に即位し、国号を唐、都を長安と定めた。もっとも建国当初は王世充おうせいじゅうや竇建徳とうけんとくなど各地に割拠する群雄が健在であり、これらを平定して実質的な中国統一を達成するまでにはなお数年を要した。この統一戦争では次男の李世民りせいみんが各地を転戦して大きな軍功を挙げ、後の帝位継承争いの伏線ともなっていく。