南宋の思想家朱熹は、北宋の程顥・程頤兄弟が説いた学統を継承し、「理」と「気」の関係を軸に宇宙の成り立ちから人間の倫理までを体系的に説明する壮大な哲学体系を築き上げた。彼が編んだ『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書に対する注釈書『四書集注』は、元代以降の科挙において公式の解釈として採用され、以後約600年にわたり官吏登用試験の根幹をなす存在となった。晩年には江西の白鹿洞書院を再興して自ら講学にあたり、規律と師弟関係を重んじる書院教育の模範を確立したことでも知られる。この朱子学は李氏朝鮮では国教的な地位を得て両班社会の倫理規範となり、日本でも江戸幕府の官学として林羅山らによって受容されるなど、東アジア全域の思想・統治観に長期にわたる影響を及ぼすことになった。