チンギス・ハンの孫クビライは、弟アリクブケとの後継者争いを制してモンゴル帝国のハーンの地位を掌握すると、1271年に中国の古典『易経』の一節「大哉乾元」にちなみ、中国風の国号「元」を定めた。これは従来の遊牧国家的な「大モンゴル国(イェケ・モンゴル・ウルス)」から、中国の伝統的な王朝としての正統性をも兼ね備えた統治体制への転換を意味していた。クビライは大都(現・北京)を新たな首都と定めて中国式の宮城・官制を整える一方、モンゴル人第一主義や独自の駅伝制(ジャムチ)などモンゴル的統治の要素も色濃く残した。この頃までにモンゴル帝国全体は事実上キプチャク・チャガタイ・イル・オゴデイの各ハン国に分立しており、元はそれらの緩やかな宗主的地位を保ちながらも、実質的には中国を主たる基盤とする王朝として機能していくことになる。