北
北宋 / 960 – 1127
1004対外関係

澶淵せんえんの盟

遼の聖宗せいそうとその母蕭太后しょうたいごうが親征して大軍を南下させ、宋の都開封かいほうに近い澶州せんしゅう(現・河南省濮陽ぼくよう)の対岸にまで迫ると、宋の朝廷内では一時遷都して難を逃れるべきだとの意見も出るほどの動揺が広がった。しかし宰相寇準こうじゅんは皇帝真宗しんそうに親征を強く進言し、真宗自らが澶州城頭に姿を現したことで宋軍の士気は大いに高まり、遼の将軍蕭撻凜しょうたつりんを城下で射殺するなど戦況は宋側にやや有利に傾いた。この情勢を受けて両国は和議を結び、宋と遼は兄弟の国として対等な関係を結ぶ一方、宋が毎年銀10万両・絹20万匹を「歳幣」として遼に贈るという条件で国境の現状維持が合意された(澶淵せんえんの盟)。この盟約は屈辱的な内容と評されることもあるが、実際には比較的小さな経済的負担と引き換えに、以後約120年間にわたる宋遼間の平和と活発な交易関係をもたらす結果となり、実利を重んじた外交解決の先例として評価されることもある。

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寇準
寇準こうじゅん
北宋の宰相。遼の南侵に際し真宗しんそうの親征を強く進言して澶淵せんえんの盟を実現させ、以後約120年に及ぶ宋遼間の平和の礎を築いた。
『清宮殿蔵画本』(国立中国博物館蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
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