漢の皇族の血を引くことを称して蜀漢を建てた初代皇帝。関羽・張飛・諸葛亮ら多くの人材を集めたことで知られる。
前漢の皇族の末裔を称しつつも、若い頃はむしろで作った履物や敷物を売って生計を立てていたと伝えられる劉備は、黄巾の乱の鎮圧に義勇兵として参加したのを機に、関羽・張飛という生涯の盟友を得た。三人が義兄弟の契りを結んだという「桃園の誓い」の逸話は、後世忠義と友情の象徴として広く親しまれている。しかし長らく確固たる地盤を持てず、各地の群雄のもとを転々とする不遇の時代が続いた。
転機となったのは、荊州で隠棲していた諸葛亮を三度訪ねて迎え入れた「三顧の礼」であり、以後、天下三分の計に基づく戦略のもとで勢力を拡大していく。赤壁の戦いで孫権と結んで曹操を退けると、荊州・益州を確保し、221年には皇帝に即位して蜀漢を建てた。しかし義弟関羽の死の報復として起こした呉への遠征(夷陵の戦い)に大敗し、まもなく病没した。人望と義理を重んじる姿勢で有能な人材を惹きつけ続けたその生涯は、実力主義を体現した曹操としばしば対比され、『三国志演義』では仁徳の君主として理想化されて描かれている。