秦王として即位後、中国史上初めて全土を統一し「皇帝」の称号を初めて用いた人物。
13歳で秦王の位を継いだ嬴政は、呂不韋ら重臣の補佐を経て親政を開始すると、李斯ら法家の臣を用いて富国強兵を推し進め、紀元前221年までに韓・趙・魏・楚・燕・斉の六国を次々と滅ぼして中国史上初の統一を成し遂げた。統一後は「王」に代わる新たな称号として「皇帝」を創始し、みずから始皇帝と号した。
統一後の統治では、度量衡・貨幣・文字を全土で統一し、郡県制を敷いて中央集権体制を確立するなど、後世の中国王朝が長く踏襲する統治の枠組みを築いた。一方で万里の長城や阿房宮、自身の陵墓(兵馬俑で知られる)といった大規模事業のための過酷な労役、思想統制を狙った「焚書坑儒」などにより民衆の恨みを買い、その死のわずか数年後に秦は滅亡した。功罪の大きさから、中国史上もっとも評価の分かれる皇帝の一人とされる。