唐の第2代皇帝。玄武門の変を経て即位し、名臣を重用した「貞観の治」と呼ばれる安定した治世を築いた、中国史上屈指の名君として知られる。
唐の建国者李淵の次男として生まれた李世民は、隋末の挙兵から唐の全国統一に至るまでの各地の戦いで自ら軍を率いて活躍し、建国の最大の功労者と目されるようになった。しかし皇太子の地位は兄の李建成にあったため、皇位継承をめぐる兄弟間の緊張が高まり、都の玄武門で兄と弟を討ち取って実権を握る「玄武門の変」に至った。まもなく父から譲位される形で即位し、唐の第2代皇帝(太宗)となった。
即位後は、かつて自分と敵対していた魏徴のような直言を厭わない人材もあえて登用し、諫言に耳を傾ける度量の広さで知られた。房玄齢・杜如晦ら有能な臣下を適材適所で用いて律令制度を整備し、対外的には東突厥を服属させて北方の脅威を大きく後退させるなど、内政・外交の両面で安定した統治を実現した。この治世は元号にちなんで「貞観の治」と呼ばれ、後世の皇帝たちが理想とする統治のモデルとなった。太宗と魏徴らとの問答を記録した『貞観政要』は、日本を含む後世の為政者にも広く読み継がれる帝王学の古典として知られている。