後漢末の群雄の一人で魏の基礎を築いた人物。政治家・軍略家であると同時に詩人としても知られる。
後漢末、宦官の養子の家系に生まれた曹操は、若くして機知に富む人物と評される一方で正統な名門の出でなかったため軽んじられることも多かったが、黄巾の乱の鎮圧で軍功を挙げて頭角を現した。混乱する後漢朝廷にあって、時の皇帝献帝を自陣営に迎え入れて「天子を奉じて逆臣を討つ」大義名分を得ると、官渡の戦いで最大の対抗馬であった袁紹を破り、華北の大半を平定するに至った。
南進を図った赤壁の戦いでは孫権・劉備連合軍に大敗を喫し天下統一の野望は挫かれたが、その後も屯田制による農地開発や人材登用における出身門地にこだわらない実力主義など、後の魏の統治体制の基礎となる諸政策を打ち立てた。生涯にわたり後漢の臣下という立場を崩さず自ら皇帝を称することはなかったが、その子曹丕の代に魏が建国されると太祖武帝と追尊された。政治・軍事だけでなく、『短歌行』などの詩作でも知られる文人でもあり、権謀術数に長けた奸雄としての側面と、優れた文才を併せ持つ複雑な人物像は、後世『三国志演義』などを通じて多面的に語り継がれている。