魏の猛将。合肥の戦いでわずかな兵で孫権の大軍を撃退し、その武名は江東に轟いた。
雁門郡の出身で、はじめ丁原・董卓・呂布と主君を替えながら頭角を現した。198年、呂布が曹操に滅ぼされると曹操に降り、以後は魏を代表する将軍の一人として各地の戦いで活躍した。
最大の功績は215年の合肥の戦いである。孫権率いる十万ともいわれる呉軍に対し、張遼は選りすぐった八百の兵で夜明けとともに敵陣に突撃して大混乱に陥れ、孫権をあと一歩のところまで追い詰めた。この戦いで城を守り抜いた張遼の名は江東に恐れられ、「泣く子も黙る」の由来になったとする俗説も生まれた。曹丕の即位後も重用されたが、222年、呉への遠征中に病没した。