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三
三国 / 220 – 280

周瑜しゅうゆ

孫策そんさく・孫権そんけんの二代に仕えた呉の名将。赤壁せきへきの戦いで呉軍の総指揮を執り、曹操そうそうの大軍を退けた。

周瑜
清代『三国志演義』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

生涯・業績

廬江ろこうの名家に生まれた周瑜は、同い年の孫策そんさくと少年時代から親交を結び、孫策が江東平定に乗り出すとその片腕として各地を転戦した。容姿端麗で音楽にも通じ、「周郎」と呼ばれて人々に慕われたと伝えられる。孫策が急死すると、若くして後を継いだ孫権そんけんを重臣として支え、動揺する江東の人心をまとめ上げた。

208年、曹操そうそうが荊州を制して降伏を迫ると、呉の群臣の多くが降伏論に傾く中で周瑜は徹底抗戦を主張し、孫権の決断を後押しした。赤壁せきへきの戦いでは呉軍の総司令として黄蓋こうがいの火攻めを採用し、曹操の大軍を撃退して天下三分の形勢を決定づけた。その後、益州攻略を構想したが、その準備のさなかに36歳の若さで病没した。『三国志演義』では諸葛亮しょかつりょうの引き立て役として度量の狭い人物に描かれがちだが、正史では度量が広く人望厚い名将として記されている。