曹操の子で魏の初代皇帝(文帝)。後漢献帝から禅譲を受けて即位し、文学者としても『典論』などの著作を残した。
曹操の子として187年に生まれた曹丕は、文才に優れた弟曹植と後継者の座を争ったのち、217年に魏の太子に立てられた。兄弟の対立は後世さまざまな逸話を生み、曹丕に七歩歩くうちに詩を作れと迫られた曹植が「豆を煮るに豆がらを燃やす」と兄弟の争いを嘆いたという「七歩詩」の話はよく知られている(史実かどうかは定かでない)。
220年に父曹操が没すると魏王を継ぎ、同じ年のうちに後漢の献帝から禅譲を受けて皇帝に即位、都を洛陽に置いて魏を建国した(文帝)。三国のうち曹丕が建てたのが魏であり、これに対抗して翌221年に劉備が蜀(蜀漢)を、229年に孫権が呉の皇帝を称した。即位の年には陳羣の進言で官吏登用制度「九品官人法」を定め、これは以後の南北朝時代まで続く貴族社会の基盤となった。文学者としても知られ、著書『典論』の論文篇で「文章は経国の大業」と述べたことは中国文学批評の始まりとされる。226年、40歳で没した。