蜀の武将。長坂の戦いで劉備の幼い息子劉禅を救い出した逸話で知られ、忠勇兼備の名将として人気が高い。
常山郡真定の出身で、はじめ公孫瓚に仕えていたが、そこで知り合った劉備に従うようになった。208年の長坂の戦いで劉備軍が曹操軍に追い散らされた際、混乱の中で劉備の幼子劉禅とその母甘夫人を保護して無事に送り届けた功績は、正史にも記された趙雲の代名詞となっている。
その後も劉備の益州入りや、219年の漢中攻防戦で活躍し、漢中では少数で陣営の門を開け放って曹操軍を警戒させ撃退したことから、劉備に「子龍は一身これ胆なり」と称えられたという。劉備の死後は諸葛亮の北伐にも従軍し、229年に没した。『三国志演義』では長坂で単騎曹操の大軍を突破する姿が描かれ、日本でも屈指の人気を誇る武将となっている。