呉の名将・政治家。夷陵の戦いで劉備の大軍を火攻めで破り、のちに呉の丞相となった。
江東の名門陸氏の出身で、孫策の娘を妻に迎え、孫権のもとで山越(江南の山地に住む人々)の討伐などに実績を積んだ。219年の荊州攻略では、当時無名だった陸遜が呂蒙の後任として赴任し、関羽に丁重な書簡を送って油断させることで、呂蒙の奇襲を成功に導いた。
222年、関羽の仇討ちを掲げて劉備が大軍で攻め寄せると、陸遜は大都督として迎え撃ち、長期戦で蜀軍を疲弊させたうえで、長く伸びた陣営に火を放って大勝した(夷陵の戦い)。この敗戦で劉備は白帝城に退き、翌年没している。その後も魏の曹休を石亭で破るなど呉の軍事を支え、244年には丞相に就任した。しかし晩年は孫権の後継者争い(二宮の変)で皇太子を擁護したため孫権の叱責を受け、失意のうちに没した。