魏の将軍。険しい山道を越える奇襲で成都に迫り、劉禅を降伏させて蜀漢を滅ぼした。
義陽郡の貧しい家に生まれ、吃音があったことから若い頃は出世に恵まれなかったが、農地や水利の調査を通じて司馬懿に才能を見出された。淮河流域での屯田と運河の整備を提言してこれを実現させ、魏の対呉前線の兵糧基盤を築いた。その後は西方の対蜀戦線に移り、姜維の北伐をたびたび退けた。
263年、魏が蜀への総攻撃を開始すると、主力の鍾会が剣閣で姜維に阻まれる中、鄧艾は陰平から700里におよぶ無人の険しい山道を進み、崖では兵とともに毛布にくるまって転がり降りたという強行軍の末に蜀の領内へ突入した。綿竹で諸葛瞻(諸葛亮の子)を破って成都に迫ると、劉禅は降伏し蜀漢は滅亡した。しかし独断での戦後処理を鍾会に謀反と讒言されて捕らえられ、護送中に殺害された。