魏の重臣・軍略家。諸葛亮の北伐を防ぎ抜き、のちにクーデターで魏の実権を掌握して西晋建国の基礎を築いた。
河内郡の名門司馬氏の出身で、曹操に招かれて出仕し、やがて太子曹丕の側近として重用された。曹丕が即位すると魏の中枢を担う重臣となり、226年に曹丕が没した際には後継の曹叡(明帝)を補佐するよう遺命を受けた。
諸葛亮の北伐に対しては、無理に決戦を挑まず守りを固めて蜀軍の兵糧切れを待つ持久戦で対抗し、234年の五丈原の対陣でも出撃を控え続けるうちに諸葛亮は陣中で病没した。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事はこのときの逸話に由来する。その後、遼東の公孫淵を滅ぼすなど功績を重ね、249年には政敵の曹爽一派をクーデター(高平陵の変)で排除して魏の実権を掌握した。この権力は子の司馬師・司馬昭に受け継がれ、孫の司馬炎による西晋建国へとつながっていく。