劉備の義弟で蜀の猛将。長坂の戦いで橋の上に立ちはだかり、曹操軍を一喝して退けた逸話で知られる。
涿郡の出身で、若い頃から関羽とともに劉備に従い、兄貴分の関羽に次ぐ存在として各地を転戦した。208年、曹操の追撃を受けた長坂の戦いでは、わずか二十騎ほどで殿を務め、川の橋を落として立ちはだかり「我こそは張益徳なり、死を賭して戦わん者は来たれ」と大喝すると、曹操軍は誰一人近づけなかったと正史に記されている。
劉備の益州攻略にも加わり、巴郡で捕らえた敵将厳顔の潔さに感じ入ってその縄を解いた逸話は、粗暴一辺倒ではない一面を伝える。その後も瓦口の戦いで魏の張郃を破るなど活躍したが、部下への扱いが苛烈で、221年、関羽の仇討ちとして呉への遠征に出発する直前、恨みを抱いた部下に寝込みを襲われて命を落とした。