諸葛亮の後継者として北伐を続けた蜀漢の将軍。蜀漢滅亡後も国の再興を図ったが果たせなかった。
天水郡の出身で、もとは魏の地方の役人であったが、228年、諸葛亮の第一次北伐の混乱の中で蜀に降った。諸葛亮はその才能を高く評価して重用し、軍事の後継者として育てた。諸葛亮の死後、蜀漢の軍権を担う立場となると、師の遺志を継いで魏への北伐を繰り返した。
しかし国力で大きく劣る蜀にとって度重なる出兵は大きな負担となり、国内では批判も強まった。263年、魏が蜀への総攻撃を開始すると、姜維は剣閣で鍾会の大軍を食い止めたが、別働隊の鄧艾が間道から成都に迫ったことで劉禅が降伏し、姜維も武器を捨てるよう命じられた。その後、魏の鍾会に取り入って反乱をそそのかし、それに乗じて蜀漢を再興しようと図ったが、264年、反乱は失敗に終わり、姜維も乱戦の中で命を落とした。