蜀漢2代皇帝で劉備の子。魏の攻勢を受けて降伏し蜀漢は滅亡した。降伏後の逸話「楽不思蜀」でも知られる。
劉備の長男として生まれ、幼少期の208年には長坂の戦いの混乱の中で趙雲に救い出されたと伝えられる。223年、父劉備が白帝城で没すると17歳で即位し、以後は丞相諸葛亮に政務を全面的に委ねた。諸葛亮の死後も蒋琬・費禕らの補佐を受け、蜀漢の皇帝として約40年という三国の君主の中で最も長い在位を保った。
治世後半は宦官の黄皓を寵愛して政治が乱れ、263年、魏の鄧艾が険しい山道を越えて成都に迫ると、抗戦を諦めて降伏し蜀漢は滅亡した。洛陽に移された後、司馬昭の宴席で蜀の音楽を聞かされて周囲が悲しむ中、劉禅だけが楽しげにしており、蜀が恋しくないかと問われて「ここは楽しく、蜀を思い出すことはない(楽不思蜀)」と答えた逸話は、暗愚な君主の典型として語られることが多い。一方で、あえて愚かを装って身の安全を図ったとする見方もある。