北
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北宋の人物一覧

武断政治への反省から、趙匡胤は文治主義を掲げて新王朝を開く。科挙官僚が国を動かし、経済と文化は爛熟の域に達する——だが北方の異民族国家に圧迫され続けた宋は、軍事的には終始劣勢を強いられた。そして女真族・金の南下により、都は陥落する。

宋太祖(趙匡胤)
宋太祖そうたいそ(趙匡胤ちょうきょういん)
北宋の建国者。陳橋ちんきょうの変により推戴されて即位し、五代の武断政治を反省して文治主義への転換を進め、以後300年以上続く宋王朝の国是を定めた。
『宋代帝半身像冊』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
楊業
北漢から宋に降った武将。遼との戦いで武名を轟かせ「楊無敵」と恐れられたが、雍熙ようきの北伐で陳家谷ちんかこくに孤立して戦死した。「楊家将」物語の祖。
清代刊本『北宋志伝(楊家将演義)』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
楊延昭
楊業ようぎょうの子で北宋の武将。父の死後も遼との国境を20年以上守り抜き、物語では「楊六郎」として知られる。
清代刊本『北宋志伝(楊家将演義)』挿絵 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
潘美
北宋建国期の名将。南漢なんかん平定などに功を立てたが、雍熙ようきの北伐で楊業ようぎょうを救えず降格された。物語では楊家を陥れる悪役「潘仁美」として描かれる。
『潘氏族譜』(1887年) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
宋太宗(趙光義)
北宋の第2代皇帝で太祖趙匡胤ちょうきょういんの弟。北漢ほっかんを滅ぼして中国本土の統一を完成させたが、燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅうの奪還には二度失敗した。
『宋代帝半身像冊』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
寇準
寇準こうじゅん
北宋の宰相。遼の南侵に際し真宗しんそうの親征を強く進言して澶淵せんえんの盟を実現させ、以後約120年に及ぶ宋遼間の平和の礎を築いた。
『清宮殿蔵画本』(国立中国博物館蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
関連する出来事
王安石
北宋の政治家・文人。神宗しんそうに登用され富国強兵を掲げた大規模な改革「新法」を主導したが、その是非をめぐり新法・旧法の激しい党争を招いた。
『南薫殿図像』(中国国家博物館蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
関連する出来事
司馬光
新法に反対した旧法党の中心人物。政治家であると同時に、編年体の歴史書『資治通鑑』を編纂した歴史家としても知られる。
『晩笑堂竹荘畫傳』 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
関連する出来事
完顔阿骨打(金太祖)
完顔阿骨打わんやんあくだ(金太祖)
金の建国者。女真じょしん諸部族を統一して遼からの自立を果たし皇帝に即位した。当初は北宋と同盟して遼を挟撃したが、この同盟は後に北宋自身の滅亡を招く伏線となった。
写真: Slb nsk(金上京歴史博物館) / Wikimedia Commons(CC BY-SA)
関連する出来事
徽宗
徽宗きそう
北宋第8代皇帝。書画に優れた才能を発揮し独自の書体「痩金体」を創始した文化人であったが、政治的には無策で、靖康の変により金に連行され北方で客死した。
『南薫殿図像』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)