楊業の子で北宋の武将。父の死後も遼との国境を20年以上守り抜き、物語では「楊六郎」として知られる。
楊業の息子で、もとの名を延朗といった。少年時代から父に従って戦場に立ち、986年の雍熙の北伐では先鋒として朔州の攻略で腕に矢を受けながらも戦い続けたと伝えられる。父が陳家谷で戦死した後も、宋の北辺防衛の最前線に立ち続けた。
999年、遼の大軍が遂城に迫った際には、寡兵で城を守る中、厳冬の夜に城壁に水をかけて凍らせ、敵が攀じ登れないようにして撃退したという逸話が残る。以後も河北の国境地帯で20年以上にわたって遼の侵攻を防ぎ、遼の人々からも恐れ敬われた。1014年に没すると、その死を悼む人々が多かったと記録されている。後世の「楊家将」物語では楊家の六男「楊六郎」として主役格の扱いを受け、父楊業、息子楊文広へと続く三代の武門の中心人物として描かれている。