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北
北宋 / 960 – 1127

宋太宗そうたいそう(趙光義ちょうこうぎ)

北宋の第2代皇帝で太祖趙匡胤ちょうきょういんの弟。北漢ほっかんを滅ぼして中国本土の統一を完成させたが、燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅうの奪還には二度失敗した。

宋太宗(趙光義)
『宋代帝半身像冊』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

生涯・業績

宋の建国者趙匡胤ちょうきょういん(太祖)の弟で、兄の即位後は都開封かいほうの長官として重きをなした。976年、太祖が急死すると、太祖の子ではなく弟の趙光義が帝位を継いだ。その夜の経緯をめぐっては「燭影斧声しょくえいふせい」と呼ばれる謎めいた伝承が残り、兄の死への関与を疑う説が後世まで語られている。

即位後は呉越ごえつを帰順させ、979年には遼の支援を受けていた北漢ほっかんを滅ぼして、五代十国の分裂を収拾した。しかしその勢いのまま遼の幽州ゆうしゅうを攻めた高梁河こうりょうがの戦いで大敗し、986年の雍熙ようきの北伐でも失敗して楊業ようぎょうら多くの将兵を失った。以後、宋は遼に対して守勢に回ることになる。内政では科挙かきょの合格者を大幅に増やして文官による統治体制を固め、兄が掲げた文治主義を定着させた。