北漢から宋に降った武将。遼との戦いで武名を轟かせ「楊無敵」と恐れられたが、雍熙の北伐で陳家谷に孤立して戦死した。「楊家将」物語の祖。
并州太原の出身で、若くして五代十国の一つ北漢に仕え、君主から劉姓を与えられて劉継業と名乗った。北漢は遼と結んで宋に対抗していた国であり、楊業も長く宋軍と戦う立場にあったが、979年、宋の太宗が太原を包囲して北漢が降伏すると、その武勇を惜しんだ太宗に迎えられて宋に仕え、楊姓に復した。
以後は遼との国境にあたる代州の守りを任され、980年には雁門関に侵攻した遼の大軍を、わずかな騎兵を率いて背後から急襲して撃破した。この戦い以降、遼の兵は楊業の旗印を見ただけで退いたといわれ、「楊無敵」と呼ばれた。986年の雍熙の北伐では西路軍の副将として四州を攻略したが、全軍撤退の中で監軍王侁に無謀な出撃を強いられ、約束された援軍もないまま陳家谷で遼軍に捕らえられ、絶食して世を去った。その忠義と悲劇的な最期は、息子楊延昭らの活躍とともに「楊家将」の物語として後世に語り継がれている。