中国史年表
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唐
唐とう / 618 – 907

唐高祖とうこうそ(李淵りえん)

唐とうの建国者。隋末ずいまつの混乱に乗じて挙兵し長安ちょうあんを制圧、618年に皇帝に即位して唐王朝とうおうちょうを開いた。

唐高祖(李淵)
『南薫殿なんくんでん図像』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

生涯・業績

北周ほくしゅう以来の名門貴族の家に生まれた李淵りえんは、母が隋文帝ずいぶんていの皇后独孤氏どっこしの姉であったことから隋ずいの煬帝ようだいとはいとこの間柄にあたり、隋ずいの高官こうかんとして各地の要職を歴任れきにんした。煬帝ようだいの高句麗こうくり遠征の失敗をきっかけに各地で反乱が相次ぐと、太原たいげんの留守りゅうしゅ(地方長官)であった李淵りえんも617年に挙兵し、次男李世民りせいみんらとともにまもなく長安ちょうあんを制圧した。当初は煬帝ようだいの孫を皇帝に擁立したが、翌618年に煬帝ようだいが江都こうとで殺害されると禅譲ぜんじょうを受けて即位し、唐とうを建国した(高祖)。

即位後は隋ずいの制度を受け継ぎながら律令や均田制きんでんせい・租庸調制そようちょうせいを整え、約300年続く唐とう王朝の基礎を固めた。各地の群雄ぐんゆうの平定は主に息子たちに任され、とくに李世民りせいみんの功績が大きかったため、皇太子李建成りけんせいとの対立が深まっていった。626年の「玄武門の変げんぶもんのへん」で李世民りせいみんが兄と弟を討つと、李淵りえんはまもなく李世民りせいみんに譲位して太上皇たいじょうこうとなり、635年に没した。建国者でありながら、名君として名高い太宗の陰かげに隠れがちな人物である。

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