前漢の外戚から禅譲を受けて新を建てた皇帝。周代の理想的統治を掲げた急進的な改革を推し進めたが、社会の混乱を招き短期間で滅んだ。
前漢の皇后を輩出した外戚の家系に生まれた王莽は、若い頃から謙虚で学問に励む人物として評判を集め、次第に朝廷内で重んじられるようになった。幼帝が相次いだ前漢末の混乱に乗じて実権を掌握すると、周到に人心を集めたのち、紀元8年に幼い皇帝から禅譲を受ける形で漢に代わり「新」を建てた。武力によらず前王朝から平和裏に位を譲り受けたという体裁を整えた点は、後世の易姓革命の一つのモデルともなった。
王莽は儒学の経典が理想として描く周代の制度に強くこだわり、土地の国有化や奴婢売買の禁止、貨幣制度の頻繁な改定など、復古主義に基づく急進的な改革を次々と断行した。しかし現実の社会実態を無視した性急な政策は各地で経済的混乱を招き、匈奴など周辺諸民族との関係も悪化させた。各地で反乱が相次ぐ中、赤眉の乱などの動乱の末に長安は陥落し、王莽自身も殺害されて新はわずか15年で滅亡した。理想を追い求めながら現実の統治に失敗した皇帝として、後世長く否定的に評価されている。