中国史年表
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東
五胡十六国ごこじゅうろっこく・東晋とうしん / 317 – 420

劉裕りゅうゆう

東晋末とうしんまつの武将から皇帝に上り詰め、南朝なんちょう最初の王朝宋そう(劉宋りゅうそう)を開いた人物。低い身分からの立身出世は南北朝時代を象徴する事例とされる。

劉裕
『古先君臣図鑑ずかん』(明代) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

生涯・業績

東晋とうしんの京口けいこう(現在の江蘇省鎮江ちんこう)で貧しい家に生まれた劉裕りゅうゆうは、東晋とうしんの精鋭部隊「北府軍ほくふぐん」の一兵卒から身を起こし、399年に始まる孫恩そんおんの乱の鎮圧で頭角を現した。404年には帝位を奪った桓玄かんげんを打倒して東晋とうしんの帝室を復活させ、以後は朝廷の実権を握るようになった。

その後は北伐ほくばつを重ね、410年に南燕なんえんを、417年には後秦こうしんを滅ぼして、一時は旧都長安ちょうあんと洛陽らくようを取り戻した。この武功ぶこうを背景に420年、東晋とうしんの恭帝きょうていから禅譲ぜんじょうを受けて即位し、宋そう(後の趙氏の宋そうと区別して劉宋りゅうそうと呼ばれる)を建てた(武帝)。ここから宋そう・斉せい・梁りょう・陳ちんと続く南朝の時代が始まる。ただし長安ちょうあんは彼が南へ戻った直後に夏かの赫連勃勃かくれんぼつぼつに奪われ、本人も即位からわずか2年後の422年に没した。家柄よりも実力で皇帝にまで上り詰めた経歴は、門閥貴族の時代における異例いれいの出世として知られる。

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