唐の高宗の皇后から皇帝に即位した中国史上唯一の女帝。科挙官僚の登用を進めるなど独自の統治を行った。
唐の太宗の後宮に仕える身分から出発した武則天は、太宗の死後、次代の高宗の寵愛を受けて皇后に立てられると、病弱であった高宗に代わって次第に政務に関与するようになった。高宗の死後は自らの子である中宗・睿宗を相次いで擁立して実権を握り続け、690年にはついに自ら皇帝に即位して国号を「周」と改めた。これは中国四千年の歴史上、女性が皇帝として即位した唯一の例とされる。
その統治は、伝統的な貴族層に対抗する形で、家柄によらず学識と実務能力を基準に人材を登用する科挙制度を積極的に活用した点に特色があり、これにより新興の官僚層が台頭する契機となった。密告制度や酷吏の登用による厳しい弾圧政治への評価は分かれるものの、その治世下で国内は概ね安定し、経済も発展を続けたことから、後の「開元の治」と呼ばれる盛世への橋渡しの時期になったとも評価される。晩年に退位を迫られ唐が復活した後も、その大胆な統治手法と女性でありながら皇帝の座に上り詰めた生涯は、中国史上もっとも議論を呼ぶ人物の一人として語り継がれている。