唐の建国者。隋末の混乱に乗じて挙兵し長安を制圧、618年に皇帝に即位して唐王朝を開いた。
北周以来の名門貴族の家に生まれた李淵は、母が隋文帝の皇后独孤氏の姉であったことから隋の煬帝とはいとこの間柄にあたり、隋の高官として各地の要職を歴任した。煬帝の高句麗遠征の失敗をきっかけに各地で反乱が相次ぐと、太原の留守(地方長官)であった李淵も617年に挙兵し、次男李世民らとともにまもなく長安を制圧した。当初は煬帝の孫を皇帝に擁立したが、翌618年に煬帝が江都で殺害されると禅譲を受けて即位し、唐を建国した(高祖)。
即位後は隋の制度を受け継ぎながら律令や均田制・租庸調制を整え、約300年続く唐王朝の基礎を固めた。各地の群雄の平定は主に息子たちに任され、とくに李世民の功績が大きかったため、皇太子李建成との対立が深まっていった。626年の「玄武門の変」で李世民が兄と弟を討つと、李淵はまもなく李世民に譲位して太上皇となり、635年に没した。建国者でありながら、名君として名高い太宗の陰に隠れがちな人物である。