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唐
唐 / 618 – 907

楊貴妃ようきひ

玄宗げんそう晩年の寵妃。安史の乱の勃発後、都落ちの途上で馬嵬駅ばかいえきにて自害を命じられたと伝わり、その悲劇は白居易はくきょいの詩『長恨歌』などにより後世広く語り継がれた。

生涯・業績

地方官の娘に生まれた楊玉環は、はじめ玄宗げんそうの子である寿王の妃であったが、玄宗の目に留まり、一度出家させられたのちに玄宗自身の後宮に召し入れられて「貴妃」の位を与えられた。歌舞に通じ豊満な美貌で知られたその寵愛ぶりは並外れており、一族も次々と要職に取り立てられ、従兄の楊国忠ようこくちゅうは宰相にまで昇り詰めた。玄宗が晩年に政務への関心を失っていった背景には、この楊貴妃への傾倒があったとも指摘される。

755年、節度使であった安禄山あんろくざんが挙兵した「安史の乱あんしのらん」により都長安ちょうあんが脅かされると、玄宗一行は蜀への逃避行に出るが、その途上の馬嵬駅ばかいえきで、乱を招いた楊一族への怒りに沸いた護衛の兵士たちが反乱を起こし、玄宗は涙をのんで楊貴妃に死を命じたと伝えられる。この悲劇的な最期は、のちに白居易はくきょいが詠んだ長編叙事詩『長恨歌ちょうごんか』によって、皇帝と寵妃の悲恋物語として広く語り継がれるようになり、日本の『源氏物語』をはじめ東アジア各地の文学・演劇にも大きな影響を与えた。

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