中国史年表
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北
北宋ほくそう / 960 – 1127

宋太祖そうたいそ(趙匡胤ちょうきょういん)

北宋ほくそうの建国者。陳橋ちんきょうの変により推戴されて即位し、五代の武断政治を反省して文治主義への転換を進め、以後300年以上続く宋そう王朝の国是を定めた。

宋太祖(趙匡胤)
『宋代そうだい帝てい半身像冊』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

生涯・業績

927年、五代の洛陽らくようで軍人の家に生まれた。後周こうしゅうの世宗柴栄さいえいに仕えて各地の戦いで功を挙げ、皇帝直属の禁軍きんぐんを率いる地位にまで上った。959年に世宗が没し、7歳の恭帝きょうていが即位すると、翌960年、北方への出陣の途中に陳橋ちんきょう駅えきで部下の将兵から皇帝の象徴である黄色の衣ころもを着せられて推戴され(陳橋ちんきょうの変)、そのまま開封かいほうに戻って禅譲ぜんじょうを受け、宋そう(北宋ほくそう)を建てた。

軍人が皇帝を倒して即位する五代の繰り返しを終わらせるため、即位後は有力な将軍たちを酒宴に招いて兵権を返上させたと伝えられ(「杯酒釈兵権はいしゅしゃくへいけん」)、地方の軍の精鋭を禁軍きんぐんに集めて中央の力を強めた。さらに皇帝自らが科挙の最終試験を行う殿試でんしを始め、試験で選ばれた文官ぶんかんが政治を担う「文治主義」の礎を築いた。対外的には後蜀こうしょく・南漢なんかん・南唐なんとうなど南方の国々を次々と併合して統一を進めたが、完成を見ないまま976年に急死した。後を継いだのは息子ではなく弟の趙光義ちょうこうぎ(太宗)であったため、その死の経緯をめぐっては「燭影斧声しょくえいふせい」と呼ばれる疑惑ぎわくの伝説も残されている。

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