主人公は秦王嬴政、後の始皇帝その人。邯鄲での誕生から呂不韋の専権、嫪毐の乱、六国の併合まで、『史記』が伝える出来事に沿って進む史実度の高い作品。ただし、会話や人物の心理、細かな人間関係はドラマとしての脚色が多い。
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周の権威が失われた戦国時代、秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙の七国が争った。商鞅の改革で国力を高めた秦は、前260年の長平の戦いで趙に大勝し、統一への道を開く。その翌年、趙の都邯鄲で人質の秦の王族の子として生まれたのが嬴政だった。
| ドラマでの役 | 実在モデル | 区分 | 史実での人物像 | ドラマとの違い |
|---|---|---|---|---|
| 嬴政 | 始皇帝(嬴政) | 実在 | 前259〜前210年。13歳で秦王となり、親政を始めると嫪毐・呂不韋を除いて実権を握った。前230年からの10年で韓・趙・魏・楚・燕・斉を滅ぼし、前221年に中国を統一して「皇帝」を名乗った。 | 民を思う理想の君主として描かれる傾向が強い。統一後の焚書坑儒などの苛烈な面はほとんど描かれない。 |
| 呂不韋 | 呂不韋 | 実在 | 趙で人質だった異人(後の荘襄王)に投資して王位につけ、秦の相国として権勢を振るった大商人。『呂氏春秋』を編ませた。嫪毐の事件に連座して失脚し、前235年に自ら命を絶った。 | 嬴政の実父とする『史記』の説の扱いや、二人の対立の描き方には脚色がある。 |
| 趙姫 | 帝太后(趙姫) | 実在 | 嬴政の母。もとは呂不韋の寵姫だったと『史記』は伝える。嫪毐との間に二人の子をもうけ、嫪毐の乱の後は一時雍に移された。 | 史料では素行の悪さが強調されるが、ドラマでは心情に寄り添った描き方をされる。 |
| 李斯 | 李斯 | 実在 | 楚の出身で、荀子に学んだ法家の政治家。統一後は丞相となり、郡県制や文字・度量衡の統一を進めた。 | 大筋は史実に沿う。同門の韓非との関係などに脚色がある。 |
| 荊軻 | 荊軻 | 実在 | 燕の太子丹に頼まれ、前227年に秦王嬴政の暗殺を試みて失敗した刺客。『史記』刺客列伝で知られる。 | 暗殺未遂の経過は『史記』の記述に沿って描かれる。 |
区分:実在=史料に記録のある人物/合成=複数の人物をもとにした人物/架空=ドラマオリジナルの人物
『史記』呂不韋列伝は、趙姫が呂不韋の子を身籠ったまま異人に嫁いだと記す。ただし同じ『史記』の秦本紀にはその記述がなく、後世の創作や中傷とみる研究者も多い。ドラマを見る際も、史実として確定した話ではない点に注意したい。
『史記』は始皇帝を猜疑心の強い暴君として描く面があるが、ドラマは統一と太平を目指す君主として描く。近年の中国では、統一国家を作った功績を重く見る評価も広がっている。
主な事件は史書に沿う一方、嬴政と呂不韋・李斯・韓非らのやり取りや心理描写は、史料にない場面を補って描かれている。史書に残るのは出来事の結果だけで、その場の会話はほとんど伝わっていない。
前221年に中国を統一した始皇帝は、郡県制を全国に広げ、文字・貨幣・度量衡を統一し、万里の長城を修築した。一方で焚書坑儒や大土木工事で民を苦しめた。前210年、巡幸の途中に沙丘で死去すると、宦官趙高と李斯は遺言を書き換えて末子の胡亥を立てた。各地で反乱が起き、秦は統一からわずか15年の前206年に滅亡した。
● 印の出来事は、年表の解説ページにリンクしています。
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