南宋の武将。金への抗戦を主張し続けたが和平派に処刑された。後世「精忠報国」を体現した忠臣として神格化されている。
農民の家に生まれた岳飛は、母から背中に「精忠報国」(真心を尽くして国に報いる)の四文字を刺青されたという逸話で知られ、靖康の変で北宋が金に滅ぼされ江南に逃れた後、義勇兵として身を投じた。統率の取れた精強な部隊「岳家軍」を率いて各地で金軍を撃破し、一時は華北の失地回復も視野に入るところまで金軍を追い詰め、南宋随一の名将として名を馳せた。
しかし、金との全面対決の継続を望まない皇帝高宗と、和平路線を主導する宰相秦檜にとって、主戦論を唱え続ける岳飛は次第に政治的な障害と見なされるようになった。金との和議を進めたい秦檜は、根拠の乏しい謀反の疑いをかけて岳飛を投獄し、「莫須有」(あるいはあったかもしれない、の意)という曖昧な罪状のもとで獄死に追い込んだ。この不当な処刑は後世大きな同情を集め、岳飛は忠義を貫いた英雄として神格化される一方、秦檜は奸臣の代名詞として長く非難され続けている。現在も杭州の岳王廟には、跪いて詫びる姿の秦檜夫妻の像が置かれ、参拝者から唾を吐きかけられる対象になってきたと伝えられる。