中華民国の建国指導者。三民主義を提唱し、辛亥革命後の臨時大総統に就任した「国父」として尊称される。
広東省の農家に生まれた孫文は、若くしてハワイや香港で西洋式の教育を受け、医学を修めて医師となったが、清朝の腐敗と列強への従属的な姿勢に強い危機感を抱き、革命運動に身を投じるようになった。清朝打倒を掲げる革命結社を組織しては何度も蜂起を試み、その多くは失敗に終わったが、亡命先の海外で華僑の支援を集めながら革命の火種を絶やさず持ち続けた。掲げた「民族・民権・民生」の三大原則は「三民主義」として、以後の中国近代化運動の理論的な柱となった。
1911年、湖北省武昌での軍の蜂起をきっかけに清朝打倒の機運が一気に全国へ広がった「辛亥革命」が起こると、当時アメリカにいた孫文は帰国し、翌1912年に成立した中華民国の臨時大総統に選出された。しかし清朝側の実力者袁世凱に大総統の地位を譲る形で早期の政権樹立を優先した判断は、その後の混乱の一因ともなった。晩年は国民党を組織して国家統一を目指したが、道半ばで病没した。共和制中国の礎を築いた指導者として、中国大陸・台湾双方から「国父」と尊称され、現在も広く敬愛されている。