楚の名門出身の武将。秦打倒の中心的存在として活躍したが、後に劉邦との楚漢戦争に敗れ自害した。
楚の名将の家系に生まれた項羽は、叔父の項梁とともに秦打倒の兵を挙げると、鉅鹿の戦いで秦の主力軍を撃破し、諸侯連合軍の中心的な存在となった。自軍の退路を断って決死の覚悟で戦わせたという「破釜沈舟」の故事はこの戦いに由来する。秦滅亡後は自ら「西楚覇王」と称して諸侯に領土を分け与えたが、論功行賞への不満から各地で反乱が相次いだ。
その後、劉邦との間で数年にわたる楚漢戦争が繰り広げられたが、次第に劉邦側に追い詰められ、最後は垓下で四方を漢軍の歌声に囲まれる「四面楚歌」の状況に陥った。愛人虞美人との今生の別れを詠んだ詩でも知られ、最終的に烏江のほとりで自害したと伝えられる。圧倒的な武勇を誇りながらも政治的な人心掌握で劉邦に及ばなかったその生涯は、後世「力戦むなしく敗れた悲劇の英雄」として繰り返し文学や演劇の題材となってきた。