隋の建国者。南北朝の分裂を終わらせて中国を再統一し、律令制や科挙の前身となる官僚登用制度など後の唐にも受け継がれる諸制度の基礎を築いた。
北周の有力な将軍の家に541年に生まれた楊堅は、娘が北周の宣帝の皇后となったことで外戚として権力を握った。宣帝が若くして没し幼い静帝が即位すると、581年に禅譲を受けて即位し、隋を建てた。都として長安の近くに新たに大興城を築き、これが後の唐の都長安となる。589年には南朝の陳を滅ぼし、西晋の滅亡から約270年続いた南北の分裂を終わらせて中国を再統一した。
内政では開皇律令を定め、中央官制を三省六部に整理し、均田制と租庸調制によって農民と税の仕組みを整えた。また貴族の家柄を重んじる九品官人法を廃して試験による官吏登用を始め、これが科挙の起源とされる。こうした制度の多くは唐にそのまま受け継がれ、日本の律令国家づくりにも影響を与えた。倹約家として知られる一方、皇后独孤伽羅の発言力が強く、ほかに妃を置くことを許されなかったという逸話も残る。皇后の意向もあって皇太子を楊勇から次男楊広(後の煬帝)に替えたことが、結果として隋の短命につながった。604年に没した。