中国史年表
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南
南北朝 / 420 – 589

孝文帝こうぶんてい(元宏げんこう)

北魏ほくぎの第7代皇帝。洛陽らくよう遷都と徹底した漢化政策を断行し、鮮卑族せんぴぞくと漢族の融合ゆうごうを大きく進めた改革者として知られる。

生涯・業績

鮮卑族せんぴぞくの拓跋氏たくばつしが建てた北魏ほくぎの皇帝として、471年にわずか5歳で即位した。幼い皇帝に代わって政治を主導したのは祖母にあたる馮太后ふうたいごう(文明太后ぶんめいたいごう)で、485年の均田制きんでんせい、翌486年の三長制さんちょうせいといった、後の隋ずい・唐とうにも受け継がれる重要な制度はこの時期に始まった。

490年に馮太后ふうたいごうが没して親政を始めると、孝文帝こうぶんていは南朝への遠征を名目に、494年に都を北方の平城へいじょう(現在の山西省大同だいどう)から中原の洛陽らくようへ移した。さらに鮮卑せんぴの服装や朝廷での鮮卑語せんぴごの使用を禁じ、帝室の姓せいを拓跋たくばつから漢風の「元げん」に改め、鮮卑せんぴの貴族と漢人の名門との婚姻こんいんを勧めるなど、徹底した漢化政策を進めた。この改革は胡漢こかんの融合ゆうごうを大きく前進させた一方、北方の国境地帯に残された鮮卑せんぴの軍人たちの不満を生み、523年に始まる六鎮の乱りくちんのらんを経て北魏ほくぎが東西に分裂する遠因にもなった。本人は499年、南朝斉せいへの遠征中に33歳で没している。

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