中国史年表
明の人物一覧に戻る
明
明 / 1368 – 1644

朱元璋しゅげんしょう(洪武帝こうぶてい)

貧しい農民出身から皇帝にまで上り詰めた明の初代皇帝。丞相じょうしょう制度廃止など皇帝独裁体制の基礎を築いた。

朱元璋(洪武帝)
『明太祖半身像』(国立故宮博物院蔵) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

生涯・業績

1328年、濠州ごうしゅう(現在の安徽省鳳陽ほうよう)の貧しい農家に生まれた。1344年の飢饉ききんと疫病で両親と兄を相次いで失い、生きるために皇覚寺こうかくじの僧となって各地を托鉢たくはつして回った。元末の紅巾の乱こうきんのらんが広がると、1352年に郭子興かくしこうの反乱軍に加わって頭角を現し、1356年には集慶しゅうけい(現在の南京)を攻略して応天府おうてんふと改め、自らの拠点とした。

1363年の鄱陽湖はようこの戦いで最大の対抗勢力たいこうせいりょく陳友諒ちんゆうりょうを破り、1367年に張士誠ちょうしせいも滅ぼすと、1368年に南京で皇帝に即位して明を建てた。同年のうちに元の都大都だいとを攻略し、元の帝室をモンゴル高原へ追いやった。年号を「洪武」と定め、一人の皇帝は一つの元号だけを用いる「一世一元いっせいいちげんの制」を始めたことから、洪武帝こうぶていと呼ばれる。即位後は里甲制りこうせいによる農村の統治や、土地台帳『魚鱗図冊ぎょりんずさつ』・戸籍台帳『賦役黄冊ふえきこうさつ』の作成を進めた。一方で猜疑心さいぎしんが強く、1380年の胡惟庸こいようの獄ごくでは丞相じょうしょうを処刑して丞相じょうしょうの制度そのものを廃止し、皇帝が六部を直接率いる独裁体制を築いた。この獄ごくや1393年の藍玉らんぎょくの獄ごくでは、建国の功臣を含む数万人が処刑されたと伝えられる。1398年に没し、孫の建文帝けんぶんていが後を継いだ。

広告
Amazonのオーディオブック Audible の広告バナー
Travelistの海外格安航空券の広告バナー