貧しい農民出身から皇帝にまで上り詰めた明の初代皇帝。丞相制度廃止など皇帝独裁体制の基礎を築いた。
1328年、濠州(現在の安徽省鳳陽)の貧しい農家に生まれた。1344年の飢饉と疫病で両親と兄を相次いで失い、生きるために皇覚寺の僧となって各地を托鉢して回った。元末の紅巾の乱が広がると、1352年に郭子興の反乱軍に加わって頭角を現し、1356年には集慶(現在の南京)を攻略して応天府と改め、自らの拠点とした。
1363年の鄱陽湖の戦いで最大の対抗勢力陳友諒を破り、1367年に張士誠も滅ぼすと、1368年に南京で皇帝に即位して明を建てた。同年のうちに元の都大都を攻略し、元の帝室をモンゴル高原へ追いやった。年号を「洪武」と定め、一人の皇帝は一つの元号だけを用いる「一世一元の制」を始めたことから、洪武帝と呼ばれる。即位後は里甲制による農村の統治や、土地台帳『魚鱗図冊』・戸籍台帳『賦役黄冊』の作成を進めた。一方で猜疑心が強く、1380年の胡惟庸の獄では丞相を処刑して丞相の制度そのものを廃止し、皇帝が六部を直接率いる独裁体制を築いた。この獄や1393年の藍玉の獄では、建国の功臣を含む数万人が処刑されたと伝えられる。1398年に没し、孫の建文帝が後を継いだ。