中国史年表
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後
後漢 / 25 AD – 220 AD

張角ちょうかく

後漢末の宗教結社「太平道たいへいどう」の創始者。黄巾の乱こうきんのらんを主導し後漢の統治機構を大きく揺るがしたが、乱の最中に病没した。

生涯・業績

後漢末の冀州きしゅう鉅鹿きょろくの人。病人に罪を懺悔ざんげさせ、まじないを書いた札ふだを浸した水を飲ませて病を治なおすと説いた宗教結社「太平道たいへいどう」を開き、自らを「大賢良師」と称した。重税と飢饉ききん、宦官かんがんの専横に苦くるしむ民衆の間で信者は急速に増え、10年余りのうちに華北を中心に数十万人に達したとされる。張角ちょうかくは信者を「方ほう」と呼ぶ36の集団に組織し、それぞれに指導者を置いた。

「蒼天そうてん已すでに死す、黄天こうてん当まさに立つべし。歳としは甲子かっしに在りて、天下大吉」という標語ひょうごを掲げ、甲子かっしの年にあたる184年に一斉に蜂起する計画を立てたが、内通者の密告によって計画が発覚したため、予定を早めて挙兵した。信者たちが目印に黄色い頭巾ずきんを巻いたことから、この反乱は「黄巾の乱こうきんのらん」と呼ばれる。張角ちょうかくは「天公将軍」を名乗り、弟の張宝ちょうほう・張梁ちょうりょうとともに官軍かんぐんと戦ったが、皇甫嵩こうほすうらの討伐軍とうばつぐんに攻められる中で同年に病没し、反乱の主力もまもなく鎮圧された。しかしその後も残党の反乱は各地で続き、討伐で力をつけた曹操そうそう・劉備りゅうび・孫堅そんけんらの群雄ぐんゆうが台頭たいとうする三国時代への道を開くことになった。

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